さりげなく♮


10代の頃、華やかな世界に憧れてファッションの道を志した自分が、今では“自分らしい服”をつくるために綿花畑を手に入れ、泥にまみれて畑を耕している、、、そんな未来を、当時はまったく想像していませんでした。

「売れるか、売れないか」「残るか、残らないか」そういうことも含めて作品の未来がどうなるかは作り手にとって常に大きな関心ごとです。ポジティブな印象で見られたいと思うあまりネガティブに映る要素をつい隠すように遠ざけたくなるのは自然なことです。けれど伝え聞いたイメージや、いつの間にか染みついた固定観念、どこか自分たちとは無関係だと思っていたそれらと向き合ってみると、その中に思いがけない心地よさや、自分らしさが芽生えてくることに気づかされます。

  
 

 

農家さんや大工さんに教えてもらいながら見様見真似で取り組む改装工事や農作業のなかに、これまで味わったことのない高揚や刺激があることにも、日々驚かされています。たとえ“本物”になれなくても、成長し続ける“偽物(未熟者)”のひたむきさや、年齢を重ねた身体にそっとなじむ“くたびれ、歪んだ服や道具”にこそ、深くて確かな、愛おしさを感じてしまいます。

 

気づけば、大工仕事と農作業と服づくりを繰り返しているうちに、もう6月になっていました。

7月頭の京都の展示テーマは「♮(ナチュラル)」です。

 

感性は、一つでなくていい。完璧じゃなくていい。

もっと自由に、行き先もわからないほど雑に、揺れ動いていていい。

無理に良く見せようとしなくていい。背伸びせず、飾らず、そのままでいい。

ただただ、ひたむきに過ごしていれば

ほんとうの“自分らしさ”が、宿ると実感しています。